フォトグラファー 高橋 優也が日本各地のシェルタードッグ達の姿を撮り下ろすプロジェクト『Shelter Dogs in Japan』。
第1回目の撮影にご協力いただいたアニマルレフュージ関西、通称「アーク(ARK: Animal Refuge Kansai)」は、大阪府の北西部、京都府と兵庫県とに接するあたりに位置する能勢町という山間地区に、現在の代表エリザベス・オリバー女史によって1990年に設立された。アークでは、様々な理由により保護された犬や猫達の心身のケア、社会化トレーニング、里親探しといった活動や、望まれずに生まれてくる犬や猫をなくすための不妊去勢手術の推奨や日本の動物福祉水準の向上の為の啓蒙活動を行っている。設立以来、3500頭以上の犬達、1500頭以上の猫達と里親との縁を繋いできた日本を代表するシェルターである。
アークの設立者であり代表のエリザベス・オリバー女史に、日本を訪れてアークを設立するまでの経緯やシェルターを運営しながら感じた課題、これからの方向性を伺った。
動物を飼うことの責任を養われた幼少期
【編集部】アーク設立までのことを教えてください。
イギリスの普通の家庭で、小さい頃から動物を飼っていました。最初は小動物からね。3歳半から乗馬を習い始めて、自分用のポニーが欲しいと母にせがんだのですが、母からは「ちゃんと責任を持って小動物を世話し、犬や猫の世話ができるようになったら」と言われました。そして私が7歳の時に、遂に私専用のポニーがやってきました。それ以来、学校から帰ってお腹が空いていても、まずはポニーに餌をあげてから。お小遣いは全部ポニーの餌代に。乗馬大会で賞金をもらっても、もちろん全部ポニーの世話のために使いました。そうして、小さい頃に動物を飼うことの責任が養われました。今も自分より先に動物達に餌をあげています。
偶然訪れた国、日本
【編集部】日本へはどういったキッカケで来られたのですか?
元々は日本へ来る予定ではなかったのです。牧場で1年間の実習を経て、大学では農学部で酪農を専攻していたのですが、冒険好きな私は、休みのたびに様々な国々を旅していました。1965年に大学の長期休暇を使ってモンゴルに向かっていたときのことです。シベリア鉄道でモスクワまでやってきたところで切符のミスがあり、次の電車まで3日間待つことになりました。次の電車は北京行きだったので、モンゴルへ行くのはやめて、北京へ行くことにしました。北京から広東、香港へ。そして、出発前にイギリスではじめてお会いした日本人の方の名刺を頼りに、貨物船で日本に向かいました。突然やってきた私に、その方と家族はとても親切にしてくれました。その後、イギリスに帰って、ロンドンの大学で1年間日本語を学び、また日本へやってきました。それが1968年。それからずっと日本にいます。
英語教師の傍らに始めた動物の保護
【編集部】どういった経緯で動物の保護活動を始めたのですか?
日本に来た当初は大阪の茨木市に住んで、いろいろな大学やプライベートでの英語教師をしていました。その後、能勢で農地を買い、犬や猫、2頭の馬達と暮らし始めました。その頃に手伝いに行っていた動物の保護施設で、捨てられる動物達の窮状についてわかってくるにつれ、自分も彼らのために何かをしようと志すようになりました。そして最初は個人で、大学に行く前と帰ってから30匹くらいの犬の世話をする生活が始まりました。英語教師の給料は全て動物達の餌代や医療費に使っていました。そういった生活を続けていると、週末に手伝いにきてくれる友人達やお世話をしてくれるボランティアの方々が増えていき、1990年に個人から団体になりました。はじめてここに入ったときは、水も電気ももちろん建物もありませんでした。全て手作りでした。会員やサポーターも少しずつ広がっていきました。
アークを大きく変えていくことになる阪神・淡路大震災
1995年1月、神戸の震災(※阪神・淡路大震災)があって、全てが変わっていきました。震災前には90匹くらいだった保護動物の数が、1年間で約600匹に急増しました。犬だけではなく、猫や鳥やうさぎも受け入れました。下の田んぼにビニールハウスを作ってね。イギリスからもボランティアにきてくれました。夜にならないと道がとても混んでいたので、夜中に神戸を出発し、朝の5時に帰ってきて6時には仕事を始めるという毎日でした。避難所に行って、動物の世話をできなくなった人達から無料で預かりました。1年でも2年でも、もっと長くてもいいと。安楽死させずに引き取ることを約束しました。飼い主が放棄すれば里親に出すことができますが、放棄したくないというケースもあり、10年以上アークでお世話をした子もいました。
東北(※東日本大震災)のときにも、スタッフが車で東北へ行って、ピックアップして羽田から連れて帰りました。最初は水も何もないから全部持って行ってね。繋がれて放置されている犬をレスキューしてアークの貼り紙をして帰ることもありました。飼い主の方が体を壊してしまったりで引き取りに来られる状況になく、今もまだ東北からきている子が何匹かいます。
現在のアーク
【編集部】現在、アークはどれくらいの規模になったのですか?
今は能勢には犬と猫あわせて300匹くらい。常勤のスタッフは全部で25人、1日に15人くらいが来ています。 2000名の登録ボランティアがいて、40〜50人くらいのボランティアスタッフが毎週来てくれています。昔は1人あたり26匹くらいを見ていたのが、今は16匹くらいなのでちょうどいい数です。餌をあげて散歩をして、動物達とスキンシップできる時間が増えました。アドバイザーの4名の獣医師が月に2回順番に来てくれています。
東京は10年になります。事務所だけでスタッフは2名、30名くらいの一時預かりのホストファミリーに預かってもらっています。新しい篠山のシェルターには3名のスタッフがいます。
現在、神戸では毎月1回、東京では毎月2~3回の譲渡会を開催しています。イベントもたくさんあります。里親の同窓会やバーベキューパーティとかね。東京では里親の半分くらいは大使館や外資系企業に勤めている外国人で、大阪でも20%くらいが外国人。彼らは帰国時には犬も一緒に連れて帰るので、今では世界中にアーク出身の犬がいます。
日本における動物を取り巻く課題
【編集部】長く動物の保護活動をされてきて、日本における動物を取り巻く課題はどういったところにあるとお考えですか?
神戸の震災が起きた頃、日本にはまだ動物福祉関係の団体はほとんどいませんでした。獣医師会と動物福祉協会とアーク、個人が少しといった状況。当時は、里親を見つけられるのは1割にも満たず、ほとんどが安楽死させられているような保護施設もありました。私は安楽死自体には反対ではなく、ここでも病気のために安楽死という選択をするケースもあるのですが、そのスケールには違和感を覚えたものでした。その頃と比べるとずっと良くなってきているとは思います。
それでもまだ色々な課題があります。 まず行政の機関に動物福祉の専門家がいないことや動物関連の法律の実効性の無さは大きな課題といえるでしょう。また、飼い主や獣医師における「虐待の定義」も日本と欧米とでは違いがあり、例えばイギリスでは犬を太らせると虐待とされます。欧米では動物虐待の前科があると2度と動物を飼うことができないのが一般的ですが、日本では罰金も含めて罰則がまだまだ甘いと感じます。また、マイクロチップのリーダーの普及状況や、行政を跨いでの里親への譲渡手続きが煩雑であるといったことも課題です。
2013年の9月からペットを飼う人は最後まで責任を持たなければならないことが動物愛護管理法に明記され、行政は終生飼養に反する飼い主からの受け入れを断ることができるようになりました。もちろん終生飼養という考え自体は正しいことです。ただ、断られた人はどうするのか?アークにはそういった個人から電話がかかってきます。必ずしもみんなが無責任というわけではありません。離婚、倒産、飼い主が亡くなった、老齢により施設に入る、逮捕された、家庭内暴力といった色々な問題があります。保健所が断ったら行き場がなくなってしまう。行政に断られたら捨てるしかない。そういった人達が、アークのウェイティングリストで順番待ちをしています。家族の事情によって動物の世話ができなくなってしまうことがあるというのは日本もイギリスも同じ。でも日本ではもしものときに受け入れてくれるところ、セーフティネットが少ないことが課題です。
ただ、先週、生まれたばかりの子猫たちがやってきました。ダンボールで捨てられると1日で死んでしまいます。世話も大変です。仮に飼い主がその親猫を避妊しないとまた同じような子猫達が生まれてしまう。そういったケースは無責任です。
最近はお年寄りとペットの問題もあります。日本の60歳や70歳の人達はすごく元気です。あちこち買い物にでかけるし、海外旅行にも行く。そんな方達が子供も大きくなって、ペットショップで子犬を飼う。6,7年後に病気になってしまって、まだ犬は6,7歳というケースが多くあります。ただ、うちにいる15歳の老犬の飼い主さんは80歳くらいで施設に入ることになり、その施設ではペットは受け入れてもらえませんでした。老犬が生きている間あと数年、なんとか一緒にいられないものかとやりきれない思いでした。
そして、日本だけではなく今は世界中で「ノーキル(no-kill)」というアピールが強くなっています。保健所も殺処分ゼロをターゲットにしていますが、私は「殺処分」と「安楽死」とが混同され、過剰な「ノーキル(no-kill)」になってしまっていると思っています。「ノーキル(no-kill)」のためには受け入れる動物を選ぶことになります。選ばなければ、老齢や病気でQOLを維持できなくなってしまった一部の動物達には「キル(kill)」も必要になります。もちろんガス室ではなく、麻酔を使った苦痛を与えない安楽死です。
これからのアーク
出典:http://www.arkbark.net/sasayama/
【編集部】篠山(兵庫県)の「アーク国際動物福祉センター」について教えてください。
ここ(能勢)は25年前に全部手作りで始めました。犬達の入っている小屋は猟犬用のものをイギリスから輸入して、柵なども全て手作りでした。ここは山なのであまりスペースもなく、新しい建物を建てることも難しいので、3年から4年かけてもっと良いところを探しました。費用面や衛生面、近くに工場とかのない綺麗なところで、能勢から1時間以内で行けるところ。篠山は峠を通って谷に入るととても綺麗な土地です。家も畑も庭もとても綺麗。土地を買う前に地元の方々に集まっていただいて、計画を話して賛同してもらいました。シェルターを運営していくには近くに住む人達の理解や支持を得ることが大切ということを能勢の運営で学んでいたからです。篠山は東京の丹下都市建築設計さんがボランティアで設計をしてくれています。元々はアークの活動を通じて知り合い、里親としてアーク出身の犬を3匹飼っていて、今では奥様がアークの理事をしてくれています。
出典:http://www.arkbark.net/sasayama/
【編集部】今後はどういった活動を行っていきたいとお考えですか?
最近は色々なところでシェルターや殺処分といったテーマが増えてきています。東京オリンピックに向けてというのもあってね。今までは動物達を保護して里親を探すことがメインでしたが、篠山を中心として人の教育にも力を入れていきます。飼い主や、動物と関わる仕事をする人のためのセミナーとかね。そもそも捨てられてしまう動物達が生まれてしまわないように。そして子ども達も自然と触れ合えるような環境を作っていこうと考えています。
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日本におけるシェルターの草分け的な存在であるアーク。その創設者であり代表のエリザベス・オリバー女史の言葉一つ一つからは、日本の動物達の福祉の実現に向けた彼女の使命感が伝わってきた。
話を伺っていて印象的だったのは、日本の動物達を取り巻く課題を冷静に見据え、セーフティネットとしてのシェルターや動物福祉に関する教育システムの確立といった構造的かつ抜本的な改革を目指す姿勢を貫いているという点だ。個人や家族のやむを得ない事情によって犬や猫を飼えなくなってしまった人達に対する非難の言葉が彼女の口から発せられることはなかった。
動物の福祉を考えるときには、ともすれば感情的・感傷的になってしまいがちであるが、彼女のような俯瞰した現実的な視点を持たなければ、動物たちを取り巻く様々な課題を本当の意味で解決していくことはできないのであろう。
もう一点、殺処分ゼロにフォーカスが当たりがちな昨今においても、過剰な「ノーキル(no-kill)」への疑問を投げかけるなど、世の中の流れに安易に惑わされることなく本質的な課題の解決に向けた明確なポリシーを持っていることも彼女、そしてアークの特徴と言えるだろう。実情は定かではないが、日本の動物福祉団体のなかで、保護動物の安楽死容認を表明している団体は数少ない。
実は、彼女には日本での逮捕歴がある。ある悪質な繁殖業者の告発に向けて証拠写真を撮ろうと現地を訪れたところ、私有地に侵入したとして住居侵入容疑で逮捕されたというのだ。もちろん犯罪自体を肯定するわけにはいかないが、そういった話も包み隠さず明かしてくれる透明性も、アークというシェルターがポリシーを重視している姿勢の表れなのかもしれない。補足すると彼女の生まれ故郷であるイギリスをはじめとした動物福祉の先進国には動物虐待の調査や起訴を専門に扱う機関が存在する。
アークでは保護された動物達への支援を考える人達に対して、里親募集をはじめとした様々な方法を用意している。ただし、ここまでお読みいただいた方には言うまでもないことかもしれないが、里親を希望される方も、ご自身がペットと暮らせるライフスタイルなのかを改めてしっかりと考えてほしい。もちろんアークでも保護動物を求める里親志望者の把握や面接を慎重に行った上で判断している。アークで保護した動物達の幸福な将来のために、妥協はない。熟慮した結果、何かしらの事情でペットと暮らすことは難しいという方にも、シェルターでのボランティアや一時預かり、スポンサー制度や寄付による援助など支援の方法は多岐に渡る。それぞれに適した方法を選ぶことが最良の支援なのだ。そして、今側にいる愛犬を「生涯の友」として終生大切にすると改めて心に誓うこと、それもまた間接的に一つの支援の形と言えるだろう。
アークへの支援方法の詳細は公式サイトをご覧ください。