動物専門のオンライン寄付サイトを運営する公益社団法人アニマル・ドネーションが活動を通じて目指すものを伝えるイメージ動画「キモチはつながる 〜犬と猫と生きる人〜」をご紹介します。
アニマル・ドネーションの目指すものは、「人」と「動物」の真の意味での共生。
「キモチはつながる 〜犬と猫と生きる人〜」は、愛犬・愛猫と共に生きる人達の日常の景色を切り取り、犬や猫との暮らしの素晴らしさを伝える動画です。
「キモチはつながる 〜犬と猫と生きる人〜」にご出演されている6名の方々から伺った愛犬・愛猫とのエピソードを撮影風景を交えつつお伝えします。
今回は、大手広告代理店に勤めながら、個人でもゲームアプリなどの開発を行うクリエーター、鈴木 教久(すずき かずひさ)さんです。
【編集部】ご自身と愛猫の自己紹介をお願いします。
こんにちは。鈴木 教久と申します。広告代理店で、広告やITサービスのプロデュースをしています。最近は、趣味として、ゲームアプリやカードゲームの開発もしています。
うちには2匹の猫がいまして、ふたりとも大切な家族なのですが、「家族」とは自分にとってどういった存在なのか……。改めて考えると、なかなか言葉にならないものですね。
15歳になる男の子、ギャッツビーは写真も撮られ慣れた様子。
僕が間違ったことをしているときや、ダラダラと過ごしているとき、冷ややかな目で僕を見て、ふぅ、とため息をつくギャッツビーは、僕を見守るおじいさん。
7歳の女の子、フィガロは人見知りするタイプらしく、スタッフがカメラを向けるとダッシュで逃げてしまいました(写真提供:鈴木 教久さん)。
帰宅して、自宅のドアをあけると、玄関でしっかりとスタンバイしていて、ふあーーっと言いながら、足に顔をすりつけるフィガロは、甘えん坊で天真爛漫な娘、という感じ。
家族というのは、不変なようで、実はいつだって少しずつ形を変えていくものですよね。猫ふたりと妻との4人での生活を、「今」という時間で切り取ると、絶妙なバランスで幸せな時間が流れているんだな、と感じます。
【編集部】愛猫との出会いや一緒に暮らすようになったキッカケなどを教えてください。
里親探しサイトからの紹介で出会ったギャッツビーは、ボクサーの方に飼われていた仔猫でした。手のひらよりも小さかったギャッツビーを、ゲージから僕らが持ってきたトートバックに移すと、彼は「よろしくお願いします。これ、この子が好きなおもちゃです」といって、猫の玩具とキャットフードと、僕らへのお土産のゼリーの詰め合わせをくれました。
猫をいただくのは、僕らなのに、こんなにいろいろいただいて申し訳ないな、としか、そのときは思わなかったのですが、猫と一緒に暮らしてみて、今ならボクサーの彼の気持ちがよくわかります。「どうかこの子を幸せにしてやってください」という祈りだった。里親になってくれる人に、あれこれ注文できないから、言葉には出さない想いを託していたんだ、ということが、痛いほどわかるのです。彼が、優しくギャッツビーを抱き上げた手や、最後に、頭をそっとなでた手。その想いを、ちゃんと受け取ったと思います。ギャッツビーとは、もう15年になりますが、ギャッツビーを思わずに過ごした日は1日もなかったと思います。今も、毎日、優しく語りかけて暮らしています。
※写真提供:鈴木 教久さん
フィガロは、里親を探していた花市場からいただきました。1歳にして母親になったフィガロの子どもたちは、みんな里親にもらわれて、フィガロだけが残ったのです。魚市場にいれば、もっと美味しいものにありつけたと思いますが、残念キャラのフィガロは、花市場に迷い込んで、葉っぱを食べたりしながら、市場の隅で仔猫を産んだのでした。
フィガロに会いに行ったとき、彼女は可愛らしい声を出して、一緒に住みたいなというしぐさで、テーブルの下を行ったり来たりしていました。今思えば、恥ずかしがり屋のフィガロが、あんなに積極的に知らない人に甘えるなんて、頑張ってたんだろうな、と思います。このくらい大人しい子だったら、きっとギャッツビーとも暮らせるだろうと判断して、彼女をその日のうちに引き取りました。その2日後には、それは完全に猫かぶりであって、すごいおてんばな猫だったことがわかるのですが、2ヶ月ぐらいの時間をかけて、ギャッツビーも受け入れてくれたのです。
フィガロは、ギャッツビーのことが大好きで、毛づくろいをしたり、好きな気持ちがあふれて、顔を叩いてしまったり、首に飛びついて爪を立てたりして、毎回ギャッツビーに怒られています。もしかしたら、自分の子どもにしてあげられなかったことを、10歳以上年上のギャッツビーにしてしまっているのかもしれません。それがわかっているのか、わかっていないのか、ギャッツビーは大きな心で、ため息をつきながら我慢してあげています。
【編集部】愛猫と暮らすようになって、ご自身に変化はありましたか?
自分の変化は、自分自身ではわからないのですが、少しだけツンデレになったかもしれませんね。僕が「猫を飼っている」と人に話すと、「鈴木さんは、犬より猫を飼ってそう」と、言われるようになりました。
子供の頃から、友達との関わり方は、狭く深く、というタイプでしたが、猫と暮らすようになって、その傾向は強くなったかもしれません。猫は、その子の性格にもよりますが、その子なりの「譲れないプライド」みたいなものがあって、それだけは小さな身体でも、絶対に死守するんです。
そういう美学をもった生き物が、生活の中にいますと、自然と自分の中にも「譲れない何か」が根を生やしてくるような、そんな気がします。そのこだわりが、バランスが良いかどうかは、棚に上げまして、「猫っぽい」と言われるのは、そういうことなんじゃないかと思います。
【編集部】逆に、愛猫に変化はありましたか?
ギャッツビーは、子供の頃から女性に優しいナイーブな男の子でした。テレビドラマで女の子が泣いていると、心配そうに見ているのは今も変わらないのですが、公園に連れ出すと、バッグから一歩も出てこないような、臆病な猫だったんです。
フィガロが、うちに来た頃は、仔猫のフィガロのことが怖くて、部屋の隅っこに隠れていました。それが今では、フィガロのことを叱ることのできるお兄さんに成長したのは、驚きです。今のギャッツビーは、もうただのヤサ男じゃないですね。
※写真提供:鈴木 教久さん
フィガロの方は、というと、ぜんぜん変わりません。天真爛漫で、いつも「ほにゃ」とか「あーーー!!」とか言いながら、自分勝手に楽しんでいます。
【編集部】愛猫と一緒にいて幸せを感じるのはどういった瞬間ですか?
今、ふたりが元気でいてくれること。それだけで幸せです。この幸せが、一日でも長く続いてくれることを、ギャッツビーが家にやってきた頃から、ずっと思っています。
【編集部】愛猫との何か思い出深いエピソードがあれば教えてください。
ギャッツビーとフィガロの楽しい想い出は、たくさんありすぎて選べないので、あえて悲しかった想い出を。
ギャッツビーと暮らし始めて、最初の発情期が来たときのことです。
猫は、オスから発情することはなく、発情期のメスの匂いを嗅ぐと、いつだってオスは発情してしまうのですが、この発情レベルは人間のそれとは、全く違うのです。深夜、まるでゾンビかモンスターになったみたいに、ギャッツビーは部屋の空気孔に顔をこすりつけながら「うぉー!うぉー!」と鳴き続けました。ギャッツビーを空気孔に近づけないように、まるでサッカーのキーパーのように、僕は前に立ちはだかるのですが、もはや僕の顔なんて目に映らず、すごい力で空気孔のある壁に向かっていきます。その状態が、匂いが薄れる朝方まで一晩中続きました。
僕らは、すぐに動物病院に連れて行き、去勢手術するしかありませんでした。
けれども、ギャッツビーの去勢について、僕は悩みました。自分が男性だからでしょうか。ネットを見れば、去勢した方が、猫にとっても幸せである理由がたくさん書かれていましたが、それでも僕は悩みました。
2日後の朝、ギャッツビーを病院に預け、一日中、胸がちくちくと痛み、ギャッツビーは初恋をすることもないんだ、と思うと涙が浮かんで、そして、迎えの時間がきました。
夕方。肌寒くなった空気の中、ちっとも早くならない早歩きをして、重い気持ちで病院のドアをあけました。奥に通され、暗いケージの中で、僕を待っていたギャッツビーは、鼻も目も充血させて、「シャーッ!」と小さな身体すべてを使って、僕と先生を威嚇しました。
「ギャッツビー、帰ろう」
うぅぅ、と唸るギャッツビーをそっと抱きかかえて、バッグにいれると、そそくさと病院を後にしようとしました。先生が、手術内容を説明してくれましたが、耳には入ってきませんでした。手術をしたことを確認させるためなのか、バットに載った睾丸を「はい。こちらが取ったものです」と、僕に見せたとき。
僕は、そのことが、とてもデリカシーがないことに思えて、先生を睨むようにして病院を後にしました。向ける先のない怒りを、先生に向けていたのだと思います。
「ギャッツビー、おうちに帰ろう。……帰ろう」
肩から下げたバッグの中で、「うぅぅぅ」とうなり続けるギャッツビーを、バッグ越しになでながら、何度も「帰ろう」と言い続けて帰りました。
人間の勝手で、手術をしておきながら、それでも僕らは寄り添って帰りました。彼に与えられなかった初恋を思いながら、それでも僕らと過ごして幸せだったと思ってくれるように。そうやって暮らしていこう。
考えてみれば、人と猫だけでなく、人と人同士だって、誰かと一緒に暮らすというのは、相手の自由や可能性の一部を奪って生きているのかもしれません。ギャッツビーとの帰り道を思い出すたびに、僕は、そばにいてくれる人に対する責任について、気持ちを新たにします。
【編集部】最後に一言お願いします!
こういう機会をいただいたことで、改めて猫たちとの時間を思い出すきかっけになりました。彼らと出会わない人生、もしくは、彼らがいなくなった後の人生。それを思うだけで、胸に大きな穴があいたような気持ちになります。
アニマル・ドネーションさんを通して、動物と人との素敵な出会いが増えていくことを願っています。ありがとうございました。